古屋誠一 メモワール.

 古屋誠一 メモワール.「愛の復讐、共に離れて...」の写真展を見た。古屋誠一は数年前から気になっていた写真家だったが雑誌で数枚程度しか見たことがなかった。

 今回初めて見た印象は、「とても素直な写真。そして彼女はとても幸せ。」

 クリスティーネは幸せだ。結婚して子供も生まれて家庭を持つことができた。それはとても恵まれている。短い人生だったのかもしれないが一通りのことは経験した。

 クリスティーネは幸せだ。

 私はクリスティーネと久美子を重ね合わせて見ているのかもしれない。クリスティーネは32年の人生。久美子は25年の人生。生まれも育った環境も人種も違うが、同じ眼をしている。同じ影を持った眼をしてる。久美子の場合は気性が激しく突然叫びだしたり、突然気を失ったりする。また見えないものが見えたりもする。未遂も何度かあった。

 クリスティーネの幸せに私が救われたような気分になるのは何故だろう。生まれたばかりの光明を抱きかかえ微笑みかけるクリスティーネに私は救われる。私はクリスティーネの微笑を探して回った。数少ない彼女の微笑を見つけて私は救われる。


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古屋誠一《伊豆》1978


 強烈な自我は全てを傷つけ消滅する。遺された者に突き刺さった矢は永遠に抜けることはない。

 ひとつの強烈な世界が消滅し、それでも永遠に続く生きる者の世界がある。生き残った者たちの世界。私は肉体の世界で行き続けなければならない。

 しかし、以前よりも見える。物がはっきりと見える。目に見える世界には表裏一体の見えない世界があるということを知っている。それを証明する必要はない。実体験で得たものだ。その扉の向こうの世界の気配を少しだけ捉えることができるようになった。

 生も死も同じ領域にある。小さな虫も、大きな動物も、そして人間も、全てが同じ領域に同じ重みで存在している。小さな白い蛾になった久美子が私の指先に止まったとき、私は物理法則を無視する生命の狂気に触れることができた。その貴重な体験を忘れることはない。

 クリスティーネの死後の彼の写真を見てるとそういった生と死の領域のバランスを探っているようにも見えた。

 古屋誠一の写真はアートなどという安っぽいものではない。彼の写真は人生だ。彼の人生そのものだ。本物の仕事である。


▼手元に置きたい写真集。
Memoires 1983
Memoires 1983


June 05, 2010