
太郎の絵はやはり良くも悪くも漫画的だ。そして描かれている対象は立体物のように見える。平面絵画として自立、構築させようという気はない。それは彫刻作品かキャラクターなるものが画面の中心に置かれているだけ。だからこれは絵ではない。本人が絵を描くつもりはないと言ってるので筋は通っている。がしかし、これを絵で描く必要があるのか。それでも絵にこだわり続けたのが岡本太郎だ。
画面中心に主役となる立体的物体があって、その形の面白さだけが目立つ。背景はその主役の形にそった成り行き上の処理に終わっている。そこが僕にはつまらない。その思考停止の処理が納得いかない。背景自体にも意志があって中心の形に対してせめぎ合わなければならない。(ということはつまり彼が言う対極主義とは絵の中で起こるものではなく、絵と外との対極を意図している。)
背景はあくまで背景であり肝心なのは中心にある主役の存在である。という考え方が僕には面白くない。これはきっと岡本太郎の基本的思想なんだと思うが、そこが岡本太郎の潔さであり魅力であり、また弱さでもあると思った。

「アビニヨンの娘たち」の前を横切る私 - MoMA 2008
それに比べてピカソは背景の処理に気を配っている。もっと言うとピカソの絵には背景も主役もなく線も形も面もなく、全体が全体に対してせめぎあい関わり合って何かを訴えている。そこに繊細さと緻密さと大胆さが存在し、大きなエネルギーとなる。
主義や思想が強すぎると絵は描けない。叩きつけても叩きつけても、そのエネルギーの表面的な強さだけが目立ってしまう。だから岡本太郎は絵の人ではない。彫刻の人であると僕は思う。

2005年4月22日、敏子さんを偲んで太郎記念館に行った。

僕の一番好きな太郎の作品。彼はやはり彫刻の人だ。この可愛らしさがたまらない。これは自画像だ。岡本太郎の本来の姿だ。

太郎と言えば太陽の塔。僕が通っていた高校の校舎の窓からは太陽の塔が見えた。僕の高校時代は授業中でも絵を描いてるか教室の窓から太陽の塔を眺めているかどっちかだった。
最近よく見かける太郎の自己啓発本はわかったような気になるだけで地に足がついていない。
じっくり付き合える本を紹介する。

